赤黒い空に、緑色の太陽を描く子供だった私

サトリゴト

5歳くらいから小学校低学年くらいで描く『太陽』は、なぜか決まって真っ赤だった。
地面から見上げる空にあるのは、一瞬だけしか見ることのできない強く白い光。私にとっての『太陽』はその色だ。
だけど、先生は「太陽は赤でしょ」と言い、周りの子供たちはそれに従い、こぞって真っ赤な太陽を描く。

私は不思議でたまらなかった。皆には太陽が赤く見えるのかと思った。皆は、夕方のお日様を描いているのだと思っていた。
言われた通りの色にしないとその時間が終了しないので、私も真っ赤な太陽を描く。でも、気持ちが悪かった。嘘を描いているようだった。

家に帰って、自分が見える太陽を描いた。
青い空に白または少し黄色い太陽。
赤黒い空に緑色の太陽だ。

緑色の太陽は、強い光に目を閉じた時、瞼に写る残像だった。
赤黒いのは瞼が作るスクリーン。

私は満足した。

皆が描く真っ赤な太陽は、人間が生きる上で色々と身につけていくようになる『折り合い』や『暗黙の了解』だ。
私が描く緑色の太陽は、私が感じて見える世界の『個性』である。

真っ赤な太陽も一つの真実。宇宙ではその姿だろう。夕日もそうだ。
しかし、私の見える緑色の太陽も一つの真実であり、これが何色であってもその人にとっての太陽はその色であり真実なのだ。

問題は、太陽の色を赤にしろと押し付けることである。

世界は、そこに存在しているという物理的なものと、人それぞれの想いで出来上がる思想的なものの二種類で成り立っていると私は思う。
思想的な世界は、見え方が人と違って当然なのだ。

自分らしく生きるとか、好きなことをして生きるっていうのは、この見え方の違いを自分のものだとする勇気と幸せのこと。

 

 

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