16歳の私と水子地蔵

私は今、産婦人科にいる。

その空間は不思議なもので、新しく宿った命を喜ばしく思う温かい空気に包まれたり、これからその未来が来るようにと願っている少し張り詰めた風が流れたり、ボールがポーンポーンと跳ねるような活発な空間に変化したりと何だかせわしなかった。

自分だけが部外者だった。
空間になじめない私は、そんな気がして待合室の長椅子の上で少しだけ身を縮ませた。

私は今、人工中絶の手術をしている女性を待っている。

『障害をもって生まれてくる可能性が高いから』

ことの発端はこうだった。
だから『()ろす』のだと。

そんな理由で?
は?
何で?
だって可能性でしょ?
っていうか、障害があるかもって何それ。
障害があったら生まれちゃいけないの?
生きちゃいけないの?

そんなこと、ない。
そんなことは、絶対に、ない。

だけどどれ一つとして口から吐き出されることはなかった。

「ちょっと待って。相手は何て言ったの?」
「どっちでもいいって。私に任せるって」

クソが。
考えることも責任も放置したのか。
不意に相手の顔が頭に浮かんできて胃がムカムカした。
頭が痛い。

「でもさ、もうちょっと考えようよ。だって『そうなるかも』って話でしょ?」
「もしそうだったら、育てられる自信がない」
「だからまだそうだって決まってないでしょ? 人を殺すかもしれないんだから、よく考えなよ」
「殺すなんて言わないでよ!」
「おんなじことだよ!」

生まれる前だって、もう立派に命だ。
しかも一方的に。

死なせたくはない。
だって、もし私がその子だったら嫌だ。殺されるなんてまっぴらごめんだ。
考えなくては。どうしたらいいか。
どうしたら死なせずに済むか。

ああ、頭が痛い。

2

結局、私は手術の付添人として今ここにいる。
私が育てたいと言っても、『16歳』には無理だと退けられた。

無力だった。

わかっている。わかってはいるのだ。
自分にはどうしようも出来ないことをどうにかしようとしても無駄だということも、わかってる。
産むのは私ではない。

だけど。
だけど、まだ何か策はあったのではないだろうか。
そう考えてしまう。

もう少し説得できたのではないだろうか。
本当にこれしか手立てがないのか。
ぐるぐるぐるぐる思考が同じところを回っているようだった。
ずっと床を見ているのが良くないかもしれない。
そう思って視線を上げた──その時だった。

幸せそうなカップルの姿が飛び込んできた。

そして、途端に怒りが込みあがった。
そうだよ。これが本当は当たり前なんだ。
なんであいつは来なかった?
なんでここにいるのが私だけなんだ?

付き添いにも来なかった男に、無性に腹が立った。

決めたのは彼女だとしても、あいつに何の非もないなんてことはない。
だって、止めなかった。
彼女が自信をもてなかった要因になっていることを考えもしなかった。

ムカつく。
ムカつくムカつくムカつく。
殴ってやりたい。
気を失う寸前までボコボコに殴った後に言ってやりたい。

「お腹の中の子は、もっと苦しかったはずだ」

……
…………ふぅー。

落ち着け、落ち着け。
ダメだ。
今さら考えても仕方がないのに、どうしたらよかったのか、そればかりを思ってしまう。
あいつだけを悪者にしてしまう。

結局、私だって自分にはどうしようもないことだと諦めたくせに。

3

「……さん、帰りますよ」

手術を終え、少しの休憩の後、彼女は戻ってきた。
ひどく青ざめて、足元がおぼつかない。
日帰りの手術だとわかってはいたが、本当に大丈夫なのだろうか?

きっと、体にかかった負担だけではないはずだ。

見た目は変わらないが、彼女のお腹から命が消えたのだ。
どう声をかけていいかもわからず、とりあえず長椅子に座ってもらい、私は会計などの帰る支度を始めた。
事務的な作業だった。

タクシーを呼び、車まで彼女の体を支えるも、彼女は少しずつ少しずつ歩みを進めた。
ふらつきながら浅い呼吸を続ける彼女は、このまま消えてしまうのではないだろうかと思うほどおぼろげだ。

何も言えなかった。

流産してしまった人も、無事生まれても子供の体が弱かったりすると、『母親』は自分を責める。

「ちゃんと産んであげられなくて、ごめんね」と。

そんなことはない。
子供は、そんなことは思わない。考えもしない。
むしろ、お母さんの子で良かったと言う。
子供は、そういう生き物だ。お母さんが大好きなのだ。

──でも。
お母さんの意思によって死んだ子たちは、どう思うだろう?
本当にお母さんの子で良かったなんて思うだろうか?
私だったら思うだろうか? 思わない気がする。どうして?って聞くと思う。

ああ、でもこんなことを考えるのは、『私は生きている』からなんだ。
生きているから考えることができる。
死んだら、考えることだってできない。
さっきまで生きていた子には、もうできないんだ。

途端に喉に鉛のような重さを感じて、ごくりと唾を飲み込んだ。
だけど、重さは消えなかった。

4

幾日かが過ぎ、私たちは供養のためにとお寺を参拝した。
相手の男は当然のように一緒には来なかった。
本当に、何でこんな男がいいのだろう?

そんなことを思ったが、それこそ私にはどうすることも出来ないことだと無関心を決めた。
あいつがどうなろうと知ったこっちゃない。嫌いという感情さえ持ちたくない。
彼女も、自分で自分を変えなければいけないだろう。

それよりも、あの子の供養を考えよう。

以前、何かの本(だと思うが)で「人には使命があり、それを果たした時に命が尽きる。これが寿命である」というようなことを知った。
老衰でも病死でも殺されたとしても、寿命であると。

だとすると、あの子は使命を果たしたのだろうか?
その使命は何だったのか?
未だに重りを抱きながら、最近はそんなことを考えていた。

「護摩木」を奉納し、お地蔵様の元へ手を合わせに向かう。

その光景に、私は息をのんだ。

数えきれない程のお地蔵様が、そこにいた。

ああ、なんということだろう。
こんなにも……こんなにもいるものなのか。

「ごめんなさい」

思わず、本音がこぼれ出た。
何も考える間もなく、手を合わせていた。
涙が次々とあふれ出た。

そうか。私は謝りたかったのだ。
もっと何かできたかもしれないのに、考えることを諦めたこと、それにより死に追いやってしまったのではないかという罪悪感から解放されたいと思ったこと、それらを謝りたかった。

ごめんなさいと謝り続ける私を撫でるように、風が舞った。

顔を上げると、涙で滲んではいたが、確かにお地蔵様は微笑んでいた。

瞬間、私の中で覚悟が生まれた。

走りながらでも、迷いながらでも、考えに考え抜いて、今の私にできる精一杯のことをしよう。
考えることはやめない。
そして、私に命が授かった時は、必ず産む。自分の手で殺したりはしない。
相手がどんな男性であっても、どんな状況で授かったとしても。
そうして生まれてきた子にはこう言おう。

「生まれてきてくれてありがとう」

たくさんたくさん愛そう。
たくさん笑って、怒って、泣いて、色んなことしよう。

それが、私にできる精一杯のことだ。

そうか。
あの子は私にこれを教えてくれたんだ。
このことを気付かせるため。覚悟を決めるため。
もしかしたらだけど、使命はこれだったのかもしれない。

すごいな。まだこの世に生まれ出てもないのに。
きっと神様だったんだね。

「ありがとう」

今度はお礼を言った。
心が軽くなった気がした。

END

あとがき

ここまで読んでくれてありがとうございます!

「ありがとう」

って、素敵な言葉ですよね。
漢字で書くと「有難う」ですから、本当は「有ることが難しい」ことなんですよね。大変なこと、奇跡が起きた、みたいな。
だから「ありがたい」「ありがとう」なんですね。

実は、このお話はノンフィクションです。
本当にあったことや、その時思った本当の気持ちをさらけ出しました。
ちょっと汚い言葉も使っているし、デリケートな部分に触れることも書きましたので、公開するのに悩みに悩んでいました。(3年くらいです)

でも、どうしても伝えたいことがあって、公開することにしました。

それが、
「これを読んでいるあなたも、生まれてきただけで既にありがたい存在なんですよ」
ってことです。

単純に言っても、自分の書いたものを読んでもらえるのは嬉しいです。
さらに何かを感じてくれたら、もっと嬉しいです。
そんな風に、私を喜ばすことが出来るのですから、これってすごいことだと思いませんか?

だから私は「ありがとう」って言います。

もし、今ちょっと生きるのがツライなとか苦しいって思っている人は、
「生まれてきただけでもう人を幸せにしちゃってるのね。なーんだ、私ってすごいじゃん!」
とかる~く受け入れちゃってください。
っていうか、言うだけでもいいです。

言っていればそのうち自覚しますw

少しでも、心が軽くなる人がいるといいなぁ。
ということで、今回はこの辺で。